ここ何日か、自転車がパンクしたり、建具が壊れたり、なんとなく出費が続いて、焦ってます。
いやほんまアクシデントでお金かかる、かかる。
またこんな私の経済力で子ども育てていけるんかい…という思いが段々と脳を支配してきてですね。
ギリギリ収入な身としては、確かにアクシデント的な出費は痛いんですよ。
パンクで病んでもうてたら、突然洗濯機や冷蔵庫やエアコンが壊れた日には、絶望するだろし、今月来月に来る夏場の光熱費の請求とかも焦りに拍車をかけるだろし、パソコンのセキュリティソフトからの一万ごえの引き落としは更新契約ではなく詐欺かもしれない世の中敵だらけか!とかもう数字みるのもしんどいし、子どものスニーカーやスパイクが一万超えるブランドものである必要性がますます理解できなくて、さらに受験生になると塾代をどれだけ捻出できるのか。
抱えるお金問題が山積みすぎて、女性の自立やら権利やらガーガーゆーて、家制度イヤゆーてても、結局子ども1人も育てることができないダメ母で。
ドラマみたいな「苦労して子ども育てた母」みたいなん到底無理で、それにあーゆーお母さん、無理してるから病気で早く亡くなったり、幸せやったんかなとか、やっぱり早く死なないといけない母の苦労が少しでも減る世の中であって欲しいし、今はまだ子ども残して死にたくないし、もう少しは長生きしたいけど、体のあちこちにガタもくるし。
で、この全方面的にどうしようもなく落ち込んでいた折に、同僚に言われたのです。
「離婚はしないほうがいいよね」と。
ん?
ちょっと待て
ちょっと待て
そーゆー結論でいいのか?
ダメ母は離婚すなということなんか?
脳内のパズルの組み方、これで合ってるんやろか?
そもそも、婚姻が生活力、経済基盤として合理的なのはそうでしょう。
でも、いくら夫婦でも侵してはいけない人間の尊厳と繋がり方の限界があるわけで、だから離婚という選択があり、いまこうして夫からのモラハラがなくなった生活ができているのは、離婚により人生を分けることができたからで。
だから、そこはぶれたらあかんのだと。
一年かけた離婚調停ですが、やって良かったとおもうし。
そこで思い出したのですが、離婚調停のその後を書いていなかったので、次回記録することにします。