
日に日に世界がわるくなるー
気のせいかー
そうじゃないー
そんなじゃだめだと焦ったりー
生活しなきゃとすわったりー
朝ドラ「ばけばけ」の主題歌が心に沁みすぎて、
毎朝癒されてます。
ハンバートハンバートの「笑ったり転んだり」。
選択的夫婦別姓問題も
ちょっとでも良くなればいいのに
なーんか良くならない「世界」のひとつだなーと
思うんですが、
この問題の要って、
今生きる人が困っていることに制度が追いついていなくて
あるべき選択肢を奪われてしまっている
ということなんだと思いまふ。
私が離婚したとき、
めっちゃ思ったのが
「私、夫の家のお客様だったんだな」
ってことです。
戸籍謄本には、筆頭に夫がいて、そこに妻やら子やらが付随してます。
それだけをみれば、別に書類上のそれだけのことやん、なんですが、
離婚するとなれば、
私ってば、その戸籍から「外れて」
自分で戸籍を作るか、前の戸籍に戻るか
そのどちらかの手続きがいるんですね。
で、夫はというと
なーんもしないわけです。
でん、と居間に座ったまま。
私だけ、「お邪魔しましたーお世話になりましたー」と
出ていくわけです。
…なんか…腑に落ちない。
これは結婚したときに、
戸籍を夫の方に移さないといけなくて、
その住所が私には少しも縁のない土地で、
(夫の祖父母の土地)
そこに住んでもいないし住む予定もないのに
これがあんたの戸籍としての居場所だよと
公的には記録されてしまうことへの違和感でもあったんですが。
(ちなみに戸籍の住所=本籍地は申請したら変えられます。それを夫がやる気がなかったってことなんですが)
逆に日常では支障はないです。
周りの人が私をあの一家のお客さんとみるわけではないし、社会的に「嫁」として、が私のアイデンティティでは全然なかったし。
だけど、変な制度!今どき合理的じゃねーな!
とは思いました。
その時は古くからの家制度の名残りだとかは知らなくて、背景までは考えてはいなかったんですが、なんで誰もなんも言わないんだろうな…と平成半ばの私は思ってました。
もちろん仕事場でも旧姓ままでした。そんなのは平成でも普通のことでしたね。私の周りでは。ご近所付き合いでは新姓だけれども、子どもができて、転職したりして、夫の姓の方を使うことが徐々に増えていった感じです。
そして令和を迎え、
いざ離婚したら、
私は立派なお客さんでした。
でん、と座るだけで何もしないでいい
元夫を横目に、
いそいそと役所で戸籍作りに勤しむ元妻。
せめて自動的に旧戸籍に戻るとかなら
そこまで思わなかったかもですが、
一瞬、どこにも所属してない自分がいて、
それがなんだか「放り出された感」。
でもよく考えたら、あの時こそがいちばんの自由だったのかもしれません。
それにしても、実際に私の結婚生活は、お客さんだったんですかねえ。
戸籍ってなんなのさ。
実態にそぐわない戸籍というアイデンティティの必要性が全然分かりません。
だから、選択的夫婦別姓の根本にある問題は
戸籍制度、そしてその源にある家制度、
それがいかに、
現実に生きる夫婦の姿と
乖離しているか、
ですよね。
一体夫婦とはなんぞや、ってことだなと。
戸籍のように、あとから追加された方が、お客さんみたいな感覚になって、
お邪魔してみたよ!な感じよりも
2人で協力して暮らしや人生を作っていく感覚に沿うパートナーシップ制度みたいな制度の方が、責任感と覚悟と希望、そして互いを思いやる感覚が待てて、よいのではないかなぁ。
ちなみに、というか、これこそ呆れた話なんですが、子どもの戸籍も親権者に自動的にくっついていくわけでなく、移し替えの申請が必要です。
そんなに血筋を戸籍にしばりつけたいんかいと。
「家」(戸籍)の存在って、よっぽどのことなんだーと。
夫婦の姓なんかは、基本は「どっちでもいいじゃん」として、結婚したら強制的にどちらかじゃなく、戸籍も選択できますよ、それで同じく夫婦として扱いますよってのが
選択的夫婦別姓という考え方の根本なんだと思います。
でもここでふと疑問がわきました。
選択的夫婦別姓になったら戸籍まで個別になるのか?
勝手にそう思ってるけど、
そうとは限らないなと急に不安になりまして、
厚労省のサイト見に行きましたらば、
なんと別姓でも戸籍は同一らしいです。
えー😱
結局、戸籍にお邪魔します問題は残ったままか…。
ちなみに、フランスを調べてみたら、戸籍は個別で、というか日本みたいに世帯ごとの戸籍という制度はとってなくて、個人の証明が登録されているそうで、個人単位で考えるからか、結婚してなくても事実婚を申請したら、税制優遇や社会保障、子育ての権利を等しく受けられるそう。
夫婦の姓に関してもむしろ、別姓が基本で、なんなら、2人分の苗字をならべて使ってもいいよというくらいで、そもそもの縛りが少ないというか、頭が柔らかいです。
やっぱりレボリューションの国は根本が違うな…
250年の年季が違う…
そしてですね、なんと。笑
私、もう苗字変えたくない、
面倒くさい…となりまして
旧姓に戻りませんでした。
子どもが学校で詮索されるのもなんだかな、というのもあり。
で、その選択の自由はあるんですね、日本も。
でもただし、それはそれで申請がいるのですよ…
もうなんでもかんでもこちとら、お役所様にお願いし続けてておりますよ。有給取りまくって。
元夫、でん(なんにもしない)。
はい。
しかし、
社会的に苗字が変わるってのは、
寿退社なんてゆー時代なら価値あるのかもだけど、
確かに、はあ?ってなりますよね。
主に女性側だし。というかほぼ。
実際には旧姓のまま面倒なことわりをいれたりしないまま仕事したいだろうし、
個人の事情がバレバレだし、
そしてなんかやっぱり…
よそのおうちに付随される空気を感じます。
言われてみれば。
こうやって考えてしまうと。
考えたら、世の中まあまあおかしなことが
普通にあるので、
生きにくいなあ。ほんと。
考えない人間になりたい…
ってことで、
選択的夫婦別姓問題は
夫婦とは一体なんなのか。
人生のパートナーなのか。
それとも「家」を受け継いでいくための存在なのか。
そこへのメスを入れる一歩なのかな。
戸籍変わらないけど、まず一歩ということで。
もし、婚姻というものの考え方が、戸籍みたいな家のつながりではなく、人生の対等なパートナーという空気がもっとあれば、離婚してなかったのか?
それは分からないけど、窮屈さはいくぶんマシだったのかなぁとは思います。
ゆーても個人の考え方次第なのだけど、でも古い制度が古い考えを後押しはしてる部分はあるとは思います。
何人たりとも選択肢と権利が奪われない、心の豊かな国で生きていけますように。